HRN通信 ~「今」知りたい、私たちの人権問題~

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【イベント報告】3/29開催「東日本大震災・福島原発事故から10年。被災地と被災者の今、そしてこれから。」

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【イベント報告】3/29開催「東日本大震災福島原発事故から10年。被災地と被災者の今、そしてこれから。」

 

国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ(以下、HRN)は、去る2021年3月29日(月)、東日本大震災福島原発事故による被害や課題に、この10年間向き合ってこられた3名の方々、岩城恭治さん、村上充さん、森松明希子さんをお招きしトークイベントを開催しました。

 

本イベントでは、2011年3月11日から10年が経ってもなお、被災地や被災者の方々に未だ残る影響や課題、そして新型コロナウイルス感染症がもたらした影響も含めて詳しくお話いただきました。

  

開会の挨拶

HRNの伊藤和子事務局長から、登壇者の方々のこれまでの取り組みの紹介がありました。本イベントでは、10年たっても何も終わりでない、今になって見えてきた課題について話していきたいと挨拶がありました。

 

その後、後藤弘子副理事長から、HRN震災プロジェクトについての紹介がありました。震災発生後、福島原発事故が起こり、多くの方々が国内避難民となられました。その方々に対し、何かできることはないだろうかということで始まったのが、無料の法律相談です。2011年4月から福島県宮城県岩手県などの被災地での活動が、本日の登壇者の方々との出会いに繋がりました。

 

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岩手県の10年間

 

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岩城 恭治さん(大船渡)

大船渡市議会議員として任期満了後、夢ネット大船渡理事長。大船渡市市民活動支援協議会副会長、いわて定住・交流促進協議会理事、三陸鉄道沿線地域公共交通活性化協議会副会長などを歴任

 

岩城さんの活動

岩城さんは、2005年に地域おこしを行う過程でNPO法人「夢ネット大船渡」を立ち上げたことがきっかけとなり、岩手県で地域おこしとNPOの中間支援という二つの活動を始められました。しかしそれから6年後の2011年3月11日、東日本大震災が発生。地元、大船渡にも震度6弱地震が発生し、一週間ほど電気も水もない生活を余儀なくされました。

 

まずは泥だしの活動を始め、2011年の4月からは夢ネット大船渡として、NPO法人愛知ネットとともに気仙市民復興連絡会を立ち上げ、支援物資の運搬や炊き出しの活動を始められました。炊き出しの活動は避難所、仮設住宅、自宅避難をされている方々へと拡大していき、その後はがれきの中から思い出の写真を拾う活動、仮設住宅でのパトロールなども実施されました。

 

また仮設住宅でのパトロールをしている中で、高齢者の方々に手芸や縫製のニーズがあることがわかり、全国の300人以上からミシン、布、針などの寄付に繋げられました。この活動は、2012年の2月に陸前高田市と大船渡市の二か所で行われた「『きずな』手芸作品展」の開催につながりました。

 

その他にも、高齢者の方々向けに復興状況を紙媒体で届ける活動の中で、HRNの無料法律相談の情報を掲載していただきました。より多くの方に情報を届けることができ、HRNは被災者の方々に対し、法律面からのサポートを実現することが出来ました。

 

今抱える課題とは?

震災から10年経った現在、抱えている課題として人口減少のお話がありました。陸前高田市は震災以前から20%、大船渡市は13%と人口減少が顕著であり、その理由として、働く場所がないことが大きいとの指摘がありました。

 

「地方が活性化するためには、農林漁業林業第一次産業が安定しないと、人口はますます減るのではないか。農林業を振興するような、国の再生産に見合うような価格保証制度が必要」と語りました。

 

また災害公営住宅の居住者の多くが高齢者である中、若い世代に住んでもらうことも重要であり、そのためには家賃などの支援も必要であることを最後にお話しいただきました。 

宮城県気仙沼市の10年間

 

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村上 充さん(気仙沼

東日本大震災時、自宅が半壊し避難所で2ヶ月過ごした後、ムラカミサポートとして草の根の活動を続ける。活動の一環でHRN被災地支援プロジェクトの法律相談に協力。

 

 気仙沼市の現状(2021年3月時点)

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死者1,043人、行方不明214人、震災関連死は109人、人口の減少、高齢化など、2021年3月現在の気仙沼市が置かれている状況について、ご説明いただきました。

 

支援活動の現実

東日本大震災が発生した当日は、営業の仕事で外回りをされていたという村上さん。地震直後に停電となり、ラジオで6mの津波が到達する警報が出されたことを知り、高台へと避難されます。町だったところは海となり、建物も破壊されたことから、市民会館へと避難をされました。避難先の案内された部屋の中で、村上さんが一番若かったことから班長となり、そのことが今のご活動に繋がったそうです。

 

避難所で生活を始めてから3週間ほどして、初めてインターネットが繋がり、SNSを通して被災地の現状やボランティアの呼びかけなどの発信を開始。そこから、ボランティアのコーディネートをはじめ、被災者の困りごとに対応し、なんでも屋としての活動を始められました。「被災者は、震災ですべてを失っていて、相談事は様々、多岐にわたる」ことから、話相手、掃除、草取り、物資支援、など幅広い活動をされています。

 

またこのような「なんでも屋」としての活動を始められた背景の一つに、日本の「申請主義」というものがあるそうです申請主義とは「市民が行政サービスを利用する前提として、自主的な申請を必要とする」ことを指します(参照:声なき声プロジェクト「困っている方はどうぞお話しください。申請してくださいという形では、お年寄りや、判断が出来づらくなっている方、本当に困っている方は、なかなか自分から困っているとは言えない、言わない」現状があり、「基本はこちらからお伺いしてお話を聞く、訪問支援が不可欠である」ことに活動を通して気付かれたそうです。健康相談、医療相談、お茶会などのイベントを定期的に行い、ボランティアのコーディネートはこの10年間で2500回を超えたそうです。

 

様々な活動をされている中でもとくに、医療支援を始めることになった経緯には、村上さんが被災地で見てきた深刻な課題がありました。もともと震災以前から、全国平均の半分以下の医療機関しかなかったという気仙沼市。そんな中で震災が起こり、避難所では体調を崩す被災者の方々が非常に多く、村上さんご自身も気付かないうちに、血圧が上がってしまっていたそうです。震災直後はDMAT(災害派遣医療チーム)の支援があったものの、避難所閉鎖とともに終了してしまいました。

 

しかし、仮設住宅に移っても体調不安を抱える方が多く、市役所に医療支援を掛け合ったものの、自立扱いとなる仮設住宅には支援がされることはありませんでした。そこで村上さんはSNSで支援を要請し、草の根の医療支援を始められたそうです。新型コロナの影響もある現在は、オンラインでの医療相談をはじめ、HRNの無料法律相談、被災者の方々同士の交流会などもオンラインで継続して行っているそうです。

 

10年経った今、本当に大切なこと

最後に、震災から10年経っての教訓についてお話しいただきました。

 

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「東北被災地だけの問題ではない、自分自身の問題である。決して他人事ではない」ということ、そして「かつてない災害に対する支援、活動するマニュアルは一切ない。一番必要なのは、防災意識をもって思いをどれだけそこに寄せられるか、これがマニュアルになる」といった、村上さんが活動をするうえで大切にされていることを教えていただきました。

 

また村上さんの活動のように「今までにない新しい活動を起こすにあたり、コンセンサスを得るには時間がかかる。そのような場合は、先に決断して始めるのが大事」ということを最後にお話しいただきました。

 

福島原発避難からの10年間

 

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森松 明希子さん(福島)

福島県郡山市在住中に東日本大震災に被災。2011年5月から、大阪市へ母子避難。原発賠償関西訴訟原告団代表。2018年3月、国連人権理事会で被災当事者としてスピーチ。

国内避難の現実

まずはじめに、森松さんご自身が国内避難をされた経緯をお話しいただきました。母子避難という形で、震災の2か月後に福島県郡山市から大阪へ避難をされました。震災から10年が経った今でも、家族全員で暮らすことができていない状況だそうです。

 

森松さんが住んでいた郡山市福島県中通りに位置し、人口が一番多い地域にあります。そこには、双葉町大熊町といった、福島原発事故の影響で、強制避難を余儀なくされた方々が多く避難されたました。しかし、ここで問題となったのが、強制避難と別に自主避難という言葉ができたことでした。これは、森松さんのように小さな子どもを抱えた家族など、強制避難区域ではない地域から避難をすることを指します。「強制という言葉は分かりやすい。もちろん、痛みや権利侵害、人権侵害が伴う。しかしそれ以外のところも被害に遭っているという認識が必要」と語りました。

 

森松さんの活動

また森松さんご自身は、2014年に「東日本大震災避難者の会 Thanks&Dream」を結成。2017年には、それまでほとんど残されていなかった自主避難者の人々の記録を世の中に伝えるべく、著書『3.11避難者の声~当事者自身がアーカイブ~』を出版されました。「強制避難区域にしてもらったから、逃げてよいのではなく、命や身の危険があるから逃げる。しかし福島原発事故においては、残念ながらこの10年間、放射能からは逃げてはいけないといった方向にベクトルが向いていたのではないか」と指摘されました。「放射能は県境では止まらない」ように、原発事故や国内避難の問題は福島県に留まるものではないということをお話しいただきました。

 

sandori2014.blog.fc2.com

 

この10年を振り返って ~コロナ禍に見る共通点~

次に、震災から10年を振り返ってお話しいただきました。特に、2020年の一年間は「私たちが経験した、2011年からの10年を凝縮した、なぞっているような気持ちにさせられた。新型コロナウイルス放射能は別のものだが、目に見えないものと対峙するとき『あなただったらどうするか』という問いかけは似ている」と語りました。新型コロナウイルスにおける「ちぐはぐな政策、ごてごての対応、情報も後出し」と言った部分は、この10年間をトレースしているようだとの説明されました。

 

また、言葉による弊害についても触れ、例えば、「風化」や「風評」といったものも、「風化以前にそもそもなにを『風化』と呼んでいるのか、被害の実態や全容を客観的に把握できていない。風評という言葉もマジックワードであり、口を閉ざすきっかけになってしまう」ということを指摘されました。

 

さらに、いじめ、差別、偏見といった問題、自主避難や自粛の問題についても、東日本大震災新型コロナウイルスの影響には、同じ構造が見られるという指摘されました。

2021年に避難者数に3万人の差があったことが発覚したこと、新型コロナ用の病床数、検査数、感染者数の間違いなど、同様の構造は数字の問題にも存在しています。

 

福島原発事故による国内避難民の問題に対し、国連グローバー勧告などがされたこと、2018年に国連人権理事会本会合において、森松さんご自身も国連でスピーチをしたことなど、幅広くお話を伺いました。

 

最後に森松さんは、「国内避難民という言葉が新聞に載るようになったことは一歩前進。しかし、この問題の本質は被曝の問題。無用な被曝を避ける権利は誰にでもある、ということを共通の認識にすべき。個人の健康を守る権利、被曝から守られる権利が大切にされるべき」と訴えられました。

 

閉会の挨拶

 

最後に、伊藤事務局長から「私たちの方が励まされる話が多かった。現状、被災三県、被災者は十分な施策を受けていない。国際人権基準と被災者支援、避難の権利の関係とのギャップが激しすぎる。少しでも埋めるために声を上げ続けていく。気候変動でもっともっと災害が起きていく可能性、いつか自分たちにも跳ね返ってくるかもしれない。関心を持ち続けていかなければならない。一緒に被災地の方々の活動を応援していきたい」と締めくくりました。

 

おわりに

私たちヒューマンライツ・ナウは、引き続き東日本大震災福島原発事故に関する調査報告や政策提言、災害状況下の人権擁護活動を続けてまいります。

ぜひこれからもご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。

 

(文・金田花音) 

 

※本イベントの動画は当団体YouTubeでご覧いただけます。本レポートに載せきれなかった質疑応答の時間もございますで、ぜひ最後までご視聴ください!

 


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